利用許諾契約書

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原著作者:【むじん書院】

峴山

襄陽城があり、峴山はその南方に横たわっている。

峴山から南に八百歩、西に坂道を下って百歩のところに家の養魚池がある。侍中であった習郁范蠡の『養魚法』に倣ったもので、中には釣り用の台が一つ設けられている。(習郁は)臨終のとき「を養魚池の近くに埋葬してくれ」と息子に遺言した。池の傍らに高い堤があり、ずらっと竹や長楸が植えられ、芙蓉が水面を覆っている。これこそ酒宴の名所であろう。山季倫山簡)はこの地で遊ぶたび、泥酔せずに帰ることはなく、いつも「これは我にとっての高陽池なのだ」と言っていた。

峴山のふもとの漢水では鯿魚が捕れ、脂がのって旨い。むかし捕獲を禁止したとき槎頭で水を仕切ったことがあったので、「槎頭鯿」と呼ばれる。張敬児刺史だったとき、高帝蕭道成)がその魚を求めてきた。張敬児は六艘の矢倉船を造って魚を載せ、献上して「の短い槎頭鯿、一千六百頭を奉献いたします」と言った。